ピーター・セテラ

ピーター・セテラ

1944年9月13日にイリノイ州シカゴで生まれる。ピーター・セテラには2つの...

シャリース

シャリース

1992年5月10日、フィリピン生まれ。ゴスペル、R&B系の音域の広い歌を楽々と...

カナディアン・テナーズ

カナディアン・テナーズ

名プロデューサーのデイヴィッド・フォスターに実力を認められ、2009年のフォスターの...

ナタリー・コール

ナタリー・コール

1950年2月4日、ナット・キング・コールの次女としてカリフォルニア州ロサンジェルス...

ルーベン・スタッダード

ルーベン・スタッダード

1978年9月12日生まれ、アラバマ州バーミンハム出身。3歳という幼さで共に教師...

バンドメンバー ジョン・ロビンソン(Drums) ネイサン・イースト(Bass) ボー・クーパー(Keybords) タリク・アコーニ(Guitar) モー・プレジャー(Keybords) ジョンロビンソン タリクアコーニ ネイサンイースト モープレジャー ボークーパー

ピーター・セテラ PETER CETERA

1944年9月13日にイリノイ州シカゴで生まれる。ピーター・セテラには2つの特徴的なキャリアがある。一つは、昨年デビュー40周年を迎えた伝説のバンド、シカゴのヴォーカル兼ベーシストとして。そしてもう一つは、シカゴ脱退後の1986以降からのソロ・アーティストとしての活動。1967から1986年にかけては、「長い夜」、「ラヴ・ミー・トゥモロウ」等の楽曲でヴォーカルを務め、シカゴの"声"として活躍。中でも、シカゴが低迷期を迎えていた1984年にデイヴィッド・フォスターと組み、作り上げた「素直になれなくて」や「君こそすべて」は、AORを代表する楽曲となり、そして現在もバラードのスタンダード曲として世界中で親しまれている。シカゴ脱退後の1987年からは、ソロ活動に専念。再びフォスターと手を組み、作り上げた映画「ベスト・キッドII」の主題歌「グローリー・オブ・ラヴ」はアカデミー賞にもノミネートされた。その後も、エイミー・グラントと「ザ・ネクスト・タイム・アイ・フォール」、チャカ・カーンと「フィールズ・ライク・ヘヴン」、シェールと「アフター・オール」等、様々なアーティストと共演して、ヒット曲を世に送り出している。現在も世界中でソロ・ツアーを行い、その天性の歌声で人々を魅了し続けている。

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ナタリー・コール NATALIE COLE

1950年2月4日、ナット・キング・コールの次女としてカリフォルニア州ロサンジェルスに生まれる。幼い頃から父ナットの音楽に囲まれて育ち、11歳で ステージ・デビュー。大学を出てクラブ・シンガーとして活躍の後、キャピトル・レコードと契約、1975年にデビュー作「インセパラブル」を発表。グラミー賞の「最優秀新人賞」に選出されると同時に、「ジス・ウィル・ビー」が同賞の「最優秀R&Bヴォーカル賞」に輝き、アルバムはゴールドの売り上げを記録するなど衝撃的なデビューを飾る。翌1976年にアルバム「ナタリー」で再びグラミーを受賞する。同年、「東京音楽祭」のために初来日し、見事グランプリを獲得。続く「アンプレディクタブル」、「サンクフル」、「ナタリー・ライヴ」、「アイ・ラヴ・ユー・ソー」等、全てがゴールドやプラチナ・アルバムに輝き、名実ともに大物歌手の仲間入りをする。1980年代に入ると喉の疾患などから活動を休止したが、1987年にワーナーに移籍し「永遠の夢」で表舞台に復帰。1989年の「グッド・トゥ・ビー・バック」からは「ミス・ユー・ライク・クレイジー」のメガ・ヒットが生まれる。そして1991年、父ナットへ捧げたアルバム「アンフォゲッタブル」を発表。同年度のグラミー賞で「レコード・オブ・ジ・イヤー」、「アルバム・オブ・ジ・イヤー」など7部門を授賞。その後も、「テイク・ア・ルック」や 「スターダスト」といった大作でグラミー賞を次々と獲得。父に勝るとも劣らない人気と評価を確立する。2002年にはヴァーヴ・レコードに移籍して「アスク・ア・ ウーマン・フー・ノウズ」を、2006年には、ダラス・オースティンをプロデューサーに迎え、再び彼女の音楽のルーツに立ち還った究極のR&Bアルバ ム「リーヴィン」を発表。近年は音楽活動と並行して、熱帯雨林基金、小児糖尿病基金、アメリカ赤十字などの慈善福祉活動にも力を注いでいる。

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シャリース CHARICE

1992年5月10日、フィリピン生まれ。ゴスペル、R&B系の音域の広い歌を楽々と歌い上げるという、驚異の歌唱力を持つシャリースは、YouTubeで「この歌唱力はスゴイ!」と爆発的な話題になり、約1,500万視聴を記録。アメリカで最も影響力があると言われているTV トークショー「オプラ・ウィンフリー・ショー」に出演、オプラを涙ぐませるほどの圧倒的な歌唱力、パフォーマンスを披露。そのパフォーマンスを観た、これまでに数々のヒットの仕掛け人である大物プロデューサーのデイヴィッド・フォスターはあまりの才能の素晴らしさに驚愕し、ワーナーミュージックとの契約の 橋渡しを行う。その後、2009年には同番組に3度目の出演を果たし、デイヴィッド・フォスター作曲プロデュースの「NOTE TO GOD」を熱唱。すぐさまUS iTunes 総合シングル・チャートで5位に急上昇し、全米大ブレイクを成し遂げた。US盤の発売日には4度目の「オプラ・ウィンフィリー・ショー」にデイヴィッド・フォスター、Iyazと共に出演。その後、アルバムチャート初登場8位を記録。このTOP10入りはアジア人初の快挙となった。遂に2010年7月7日に日本でのデビュー・アルバム「CHARICE」をリリース。天から授かった奇跡の声で早くも話題沸騰中!アジア発、全米経由、そして世界へ。今、世界中で最も注目を集めるシャリース。一気にスターダムへと駆け上がった彼女のシンデレラ・ストーリーからは、一瞬たりとも目が離せない!

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ルーベン・スタッダード RUBEN STUDDARD

1978年9月12日生まれ、アラバマ州バーミンハム出身。3歳という幼さで共に教師だった両親が運営に携わる教会の聖歌隊に参加、本格的なヴォーカル・レッスンを受ける。高校時代はアメフトのオフェンスライン選手として活躍、奨学金を受けて名門校に進学するが、ちょうどその頃自分の中で音楽が大きな部分を占めている事に気づいた彼は声楽を専攻、本格的にシンガーとしての 道を歩み始めた。2000年には大学を中退、シンガーになる事を決意。地元のジャズ/ソウル バンドに加入、ローカル・クラブでのライヴを中心に活動。そんなある日、グループの女性メンバーがナッシュビルで開催される『アメリカン・ アイドル・シーズン2』の地方予選に参加するにあたって、彼にオーディション同行を依頼。結果、自身もオーディションにエ ントリーすることを決意、見事地方予選を勝ち抜いた。その後、数週間に渡る激戦オーディションが続くなか、ルーベンは「スーパースター」(ザ・カーペ ンターズがオリジナル、その後ルーサー・ヴァンドロスがカヴァーした名曲)、「ア・ホール・ニュー・ワールド」(ピーボ・ブライソン&レジーナ・ベルによるディズニー映画のテーマ曲)など、あのグラディス・ナイトに"ヴェルヴェット・ テディ・ベア"と名づけられる程恵まれた声質を生かし、美しいバラードを数多く披露。加えて憎めない笑顔とマイペースなキャラクターが全米の視聴者を魅了、見事優勝を勝ち取り、念願のメジャーデビューを果たした。

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カナディアン・テナーズ THE CANADIAN TENORS

名プロデューサーのデイヴィッド・フォスターに実力を認められ、2009年のフォスターの全米ツアーに同行し、アメリカでも大きな注目を集めているカナディアン・テナーズは、その名のとおり、カナダ出身の男性テノール歌手4人によるヴォーカル・カルテット。そもそもは2004年にヴォーカル・トリオとしてスタートしたグループを母体に、何度かのメンバー・チェンジを経て、2009年からヴィクター・ミカレフ、レミジオ・ペレイラ、フレイザー・ウォルターズ、クリフトン・マリーという現在の顔ぶれによる4人組となり、クラシックの名門レーベルである米デッカより北米では同年10月に発売されたアルバム『カナディアン・テナーズ』(原題はThe Canadian Tenors)で、念願のワールドワイド・デビュー。ポップスとオペラ、クラシック音楽などを絶妙にブレンドしたユニークなスタイルのサウンドと、素晴らしい4人のテノール歌手による圧倒的な歌声の魅力で、本国カナダでもアメリカでも注目を集め、2009年10月から11月にかけて全米の主要10大都市で開催されたデイヴィッド・フォスターのツアーに、フォスター本人から誘われて、スペシャル・ゲストとして同行し、人気沸騰!! その実力は、ビル・クリントン元米国大統領やデイヴィッド・フォスターからも絶賛され、フォスターからは「彼らは自分が共に仕事をしたジョシュ・グローバンやアンドレア・ボチェッリと同じ成功への道筋を辿っている」という賛辞まで贈られている。彼らの来日記念盤は公演前の2010年10月6日に発売される。

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