プロフィール

全世界でCD・レコード総売り上げ5億枚!

約40年のキャリアを誇るカナダ出身のベテラン・ミュージシャンにして、世界的トップ・レコード・プロデューサー、ソングライター、アレンジャー、キーボード・プレイヤー。今までに15のグラミー賞を獲得した他、"カナダのグラミー"と呼ばれるジュノー賞を7回、映像関連のエミー賞を1回受賞。 サウンドトラックも数多く手掛けており、アカデミー賞には3度ノミネートされた。

70年代初めにスカイラークというグループのメンバーとしてデビュー。解散後はL.A.でセッション・ミュージシャンとなり、瞬く間に売れっ子となる。数年後からプロデュース・ワークを開始。以後、着々とステップアップを重ね、クインシー・ジョーンズと並び称されるトップ・プロデューサーとなった。これまでコラボレイトしたアーティストは、マイケル・ジャクソン、ホイットニー・ヒューストン、マドンナ、バーブラ・ストライサンド、セリーヌ・ディオン、ポール・マッカートニー、ジョージ・ハリスン、ポール・アンカ、フランク・シナトラ、アース・ウインド&ファイアー、ボズ・スキャッグス、シカゴ、ロッド・スチュワート、チャカ・カーン、ナタリー・コール等など、数知れず。90年代には歴史あるアトランティック・レコーズの重役となり、その後傘下に自分のレーベルである143レコーズを設立している。近年は、ルチアーノ・パヴァロッティやアンドレア・ボッチェリなど、クラシック界との繋がりも深い。

1988年のカルガリー、2010年のバンクーバーと、カナダで開催された2度の冬期オリンピックで音楽監督を務めたのも、他ならぬフォスターである。またチャリティーにも積極的で、86年にデヴィッド・フォスター・ファウンデーションをスタート。ライヴ・イベントやスポーツ大会を催して資金を集め、病気の子供たちやその家族に寄付金を送っている。そこには人気アーティストはもちろん、ハリウッド・スターや著名アスリート、有名実業家などが続々。驚くことに、その交友録はマルローニ元カナダ首相やビル&ヒラリー・クリントン、マイクロソフトのビル・ゲイツにも繋がっている。

ヒストリー

デヴィッド・フォスターは1949年11月1日、カナダのブリティッシュ・コロンビア州バンクーバー島にある街、ヴィクトリアの生まれ。公務員で音楽好きの父、厳格な母の元、6人姉妹に囲まれた唯一の男子として育つ。4歳の時、絶対音感を発見され、クラシック・ピアノのレッスンを開始。しかし11歳でポップスに夢中になり、12歳でバンドを結成。すぐに父の収入を凌ぐギャラを稼いだ。ビートルズに強い衝撃を受けたり、バンクーバーの音楽コンテストを総舐めにして、ワシントン大学の夏期音楽プログラムの最年少受講者となったのもこの頃。

63年にはバンドでロンドンへ行き、チャック・ベリーやボ・ディドリーのバックを務める幸運に恵まれたが、ものの数ヶ月でバンドが崩壊。初めての挫折を味わって故郷へ戻り、学校へ通いながら、レストランやクラブでプレイを続ける。 68年、カナダの若手ミュージシャンの登竜門とされるロニー・ホーキンスのバンドに加入。脱退後の71年にスカイラークを結成し、翌年<ワイルドフラワー>でデビューしたところ、これが全米9位を記録する大ヒットになった。デヴィッドはこれを機にL.A.へ移住。バンドはアルバム2枚で解散したが、彼はL.A.に残ってセッション・ミュージシャンになる。そしてナンバー・ワンのセッション・ドラマー、ジム・ケルトナーの信頼を獲得。憧れのジョージ・ハリスンやリンゴ・スターらを筆頭に、バーブラ・ストライサンド、ポール・アンカ、ケニー・ロジャース、ロッド・スチュワート、フィフス・ディメンション等など、名立たる大物アーティストから声を掛けられる売れっ子になった。またケルトナーとは、アティチューズなるバンドを組み、ジョージ・ハリスンのレーベルから2枚のアルバムを出している。 スケジュール表が真っ黒になるほど多忙を極めた、この頃のデヴィッド 。しかし彼はこうしたセッション・ワークに限界を感じ、プロデューサーへの転身を模索し始めた。

そして76年、ジャズ・シンガーのジェイ・P・モーガンを手掛けると、徐々に制作の仕事へシフト。初めは芽が出なかったが、79年にアース・ウインド&ファイアーへ提供した<アフター・ザ・ラヴ・ハズ・ゴーン>が全米2位を記録し、グラミー賞最優秀R&Bソングに輝くと、ようやく歯車が廻り出し、ボズ・スキャッグスやアヴェレージ・ホワイト・バンド 、チューブスらを矢継ぎ早にプロデュース。<アフター・ザ・ラヴ・ハズ・ゴーン>を共作したジェイ・グレイドンとは、"エアプレイ"というユニットを立ち上げ、日本のポップス・シーンに多大なるインパクトを与えている。82年は、ジリ貧に喘いでいたシカゴをプロデュース。アルバム『シカゴ16』と<素直になれなくて>のヒットで彼らを救い、プロデューサーとしてのスタイタスを確立。後続2作もプロデュースを担い、84年度には初めてグラミー最優秀プロデューサーに選ばれた。以後、チャカ・カーン、ケニー・ロギンス、ディオンヌ・ワーウィック、バ−ブラ・ストレ イサンド、ポール・マッカートニー、松田聖子などを次々にプロデュース。これに併行して、83年に日本制作で初リーダー作『ベスト・オブ・ミー』を発表。86年にはワールド・ワイド・デビューを果たし、ソロ・アルバムやサントラに参加する形で、自ら活発なアーティスト活動を行っている。プロデューサーとしての更なる飛躍は、90年代に入ってから。カナダでセリーヌ・ディオンを発掘したのを境に、ナタリー・コール『アンフォゲッタブル』、ホイットニー・ヒューストンが主演した『ボディガード』のサントラ盤が連続して大成功。特に後者は空前のヒットを記録し、94年度のグラミーを総舐めにした。マドンナ、マイケル・ジャクソンからフランク・シナトラまで、大物を続々手掛けるだけでなく、老舗アトランティック・レコードの重役になって、その傘下に自身のレーベル143を立ち上げてからは、コアーズやジョーダン・ヒルなど、有望な新人発掘にもチャレンジしている。そして近年は、クラシカル・クロスオーヴァーのジョシュ・グローバンやアンドレア・ボチェリ、ジャズ・スタンダード路線のマイケル・ブーブレなど、ジャンルを大きく超越したプロデュース・ワークも目立っている。

協力 / 金澤寿和

主な作品

    2000年代


    1990年代


    1980年代


    1970年代


主な作品

【アフター・ザ・ラヴ・ハズ・ゴーン】アース・ウインド&ファイアー / 【素直になれなくて】シカゴ / 【君こそすべて】シカゴ / 【燃えつきて】ボズ・スキャッグス / 【スルー・ザ・ファイヤー】チャカ・カーン / 【オールウェイズ・ラヴ・ユー】ホイットニー・ヒューストン / 【アンフォゲッタブル】ナタリー・コール、ナット・キング・コール / 【ビコーズ・ユー・ラヴド・ミー】セリーヌ・ディオン、クライズラー&カンパニー / 【アース・ソング】マイケル・ジャクソン / 【愛をこえて】マドンナ / 【ベスト・オブ・ミー】オリビア・ニュートン・ジョン、デイヴィッド・フォスター / 【ランナウェイ】ザ・コアーズ / 【アイ・スウェア】オール・フォー・ワン / 【アンブレイク・マイ・ハート】トニー・ブラクストン / 【ザ・プレイヤー】アンドレア・ポチェッリ、セリーヌ・ディオン / 【グローリー・オブ・ラヴ】ピーター・セテラ / 【"セント・エルモス・ファイヤー"愛のテーマ】デイヴィッド・フォスター / 【ウィンター・ゲームス】デイヴィッド・フォスター / 【フォーエヴァー】ケニー・ロギンス / 【グッド・バイ】エア・サプライ / 【モーニン】アル・ジャロウ / 【ワイルドフラワー】スカイラーク / 【ガット・トゥ・ビー・リアル】シェリル・リン / 【サムホエア】バーブラ・ストライサンド / 【ホーム】マイケル・ブーブレ / 【幸せなる結婚】ボール・マッカートニー / 【ウェイト・フォー・ミー】ホール&オーツ / 【朝のとばりの中で】ポール・アンカ / 【抱いて・・・】松田聖子 / 【SWEETEST MUSIC】竹内まりや